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2026年4月22日(水) 9時

論文
RubricMathematics educationPsychologyComposition (language)Course (navigation)Medical educationAcademic achievementHigher educationComputer scienceTeaching methodCurriculumPedagogyCore (optical fiber)Mastery learningStandardized testStudent engagement

弱い学生ほど伸びる?並走支援で基礎作文が逆転

大学の作文初級コースで、補習クラスと通常クラスの成果を比較した研究。補習クラスの学生は入学時に遅れていたものの、同じ教員による並走支援で、通常クラスと同等の成果に到達した。

この研究のポイント

  • 1.

    何を調べたか

    都市部の私立大学で、通常の作文クラスと補習並走モデルの学習成果を2学期にわたって比較分析した

  • 2.

    見えてきたこと

    開始時に基礎力が低かった補習クラス生が、学期末には通常クラスと同等の成果に到達し、進級率も80%以上を記録

  • 3.

    私たちにとっての意味

    同一教員による継続的な指導と明確な学習目標の設定が、弱い学生の逆転成功を可能にする鍵となる

著者Susan R. Waddington, Allyson Richmond, Charlotte Kent

元の論文を読むIntersection A Journal at the Intersection of Assessment and Learning

AIが気になってること

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『並走支援』って、単なる補習とは違うの?どういう仕組みなんだろう?

補習と並走支援の違いは、時間軸の取り方にあります。 補習は通常、「遅れた部分を後から追いつかせる」という構え。授業が進んでから、できなかったところを遡って教え直す。つまり「後付け」です。一方、並走支援は「同時進行」。この研究では、補習クラスの学生たちが通常クラスと同じ進度で進みながら、その過程で個別の弱点に対応していく形になっています。 記事で重要なのは、同じ教員が両方を担当していたという部分。教員は通常クラスで扱った内容を、補習クラスではどう簡潔に、あるいは別の角度から説明するか工夫できます。「この学生はここがつまずくな」という個別情報も、同じ教員だからこそ蓄積されていく。 つまり並走支援は、補習というより「カスタマイズされた授業の同時進行」に近い。進度は一緒だけど、説明の仕方や練習の量を調整する。遅れを取り戻すのではなく、最初から落ちこぼれさせない設計なのだと言えそうです。

AIAIからの回答

補習と並走支援の違いは、時間軸の取り方にあります。

補習は通常、「遅れた部分を後から追いつかせる」という構え。授業が進んでから、できなかったところを遡って教え直す。つまり「後付け」です。一方、並走支援は「同時進行」。この研究では、補習クラスの学生たちが通常クラスと同じ進度で進みながら、その過程で個別の弱点に対応していく形になっています。

記事で重要なのは、同じ教員が両方を担当していたという部分。教員は通常クラスで扱った内容を、補習クラスではどう簡潔に、あるいは別の角度から説明するか工夫できます。「この学生はここがつまずくな」という個別情報も、同じ教員だからこそ蓄積されていく。

つまり並走支援は、補習というより「カスタマイズされた授業の同時進行」に近い。進度は一緒だけど、説明の仕方や練習の量を調整する。遅れを取り戻すのではなく、最初から落ちこぼれさせない設計なのだと言えそうです。

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自分が入学時に基礎が弱かったら、このコースに入ることで逆に得することもあるってこと?

入学時の成績が低いことが、逆に有利に働く局面は実際にありそうですね。 補習クラスに入った学生たちは、同じ教員から「きめ細かく見守られる」という環境を得ています。通常クラスの153人に対して49人ですから、接触頻度や質問しやすさが全く違う。弱いから始まる学習なので、一段階ずつ積み上げるペースも自分に合わせてもらいやすい。学期末に同じレベルに達したというのは、その過程で得た「基礎の定着度」が、むしろ通常クラスの学生より深いかもしれません。 ただし大事な条件があって、それは「サポート体制がある」こと。この研究では同じ教員が両方を担当したから機能した。もし補習が単なる「遅れを取り戻すための宿題」だったら、結果は違ったと思います。並走支援というのは、弱さを個性として丁寧に追いかける姿勢が前提なんでしょう。 自分が弱いことそのものは得ではないけれど、その弱さに応じたサポートを受けられるなら、むしろ逆転の可能性は確実にありそうです。

AIAIからの回答

入学時の成績が低いことが、逆に有利に働く局面は実際にありそうですね。

補習クラスに入った学生たちは、同じ教員から「きめ細かく見守られる」という環境を得ています。通常クラスの153人に対して49人ですから、接触頻度や質問しやすさが全く違う。弱いから始まる学習なので、一段階ずつ積み上げるペースも自分に合わせてもらいやすい。学期末に同じレベルに達したというのは、その過程で得た「基礎の定着度」が、むしろ通常クラスの学生より深いかもしれません。

ただし大事な条件があって、それは「サポート体制がある」こと。この研究では同じ教員が両方を担当したから機能した。もし補習が単なる「遅れを取り戻すための宿題」だったら、結果は違ったと思います。並走支援というのは、弱さを個性として丁寧に追いかける姿勢が前提なんでしょう。

自分が弱いことそのものは得ではないけれど、その弱さに応じたサポートを受けられるなら、むしろ逆転の可能性は確実にありそうです。

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作文の初級コースで落ちこぼれが起きるようになったのって、最近の話なの?昔からあった課題なんだろうか?

作文の「落ちこぼれ」が大学の課題として浮上してきたのは、ここ十数年の現象という見方が有力そうです。背景には、大学進学率の上昇があります。昔なら進学しなかった層まで大学に入るようになると、基礎学力のばらつきが必然的に大きくなる。高校までの学習環境もまちまちになれば、文章を組み立てる訓練の量もばらける。その結果、大学で「ゼロからの学生」が目立つようになったのかもしれません。もう一つ、デジタル化の影響も考えられます。最近の学生はメールやSNSで短い文を書く機会は増えていますが、段落立てて論理を展開するような「腰を据えた執筆」の経験は相対的に減ってるんじゃないか。同じ「できない」でも、その質が昔と違ってきているのだと考えられそうです。

AIAIからの回答

作文の「落ちこぼれ」が大学の課題として浮上してきたのは、ここ十数年の現象という見方が有力そうです。背景には、大学進学率の上昇があります。昔なら進学しなかった層まで大学に入るようになると、基礎学力のばらつきが必然的に大きくなる。高校までの学習環境もまちまちになれば、文章を組み立てる訓練の量もばらける。その結果、大学で「ゼロからの学生」が目立つようになったのかもしれません。もう一つ、デジタル化の影響も考えられます。最近の学生はメールやSNSで短い文を書く機会は増えていますが、段落立てて論理を展開するような「腰を据えた執筆」の経験は相対的に減ってるんじゃないか。同じ「できない」でも、その質が昔と違ってきているのだと考えられそうです。

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これって『同じ教員が続く』っていう信頼関係があると、学習効果が全然違う』みたいな普遍的なパターンの話なの?

同じ教員が続くことで信頼が生まれて、だから効果が出ている——そう見えるのは自然ですが、もう一つの角度から見ると、「出発点の低さ」がむしろ肝かもしれません。 通常クラスの学生は入学時にすでにある程度のレベルにいるから、そこからの伸びしろは限られている。一方、補習クラスの学生は底が浅いぶん、基礎を丁寧に積み直すだけで急速に上昇する。これは教員の信頼感とは独立した、単純な数学的な効果かもしれないんですよね。 逆に言えば、もし同じ教員でも「並走しない」形式だったら、補習クラスの伸びは今ほどではなかった可能性も高い。信頼関係という見方も捨てがたいですが、個別対応による「弱点の直撃」が、元々のポテンシャルの高さと相まって初めて爆発するという側面も大きいと言えそうです。教員の連続性より、繰り返しの濃度が問われているのかもしれません。

AIAIからの回答

同じ教員が続くことで信頼が生まれて、だから効果が出ている——そう見えるのは自然ですが、もう一つの角度から見ると、「出発点の低さ」がむしろ肝かもしれません。

通常クラスの学生は入学時にすでにある程度のレベルにいるから、そこからの伸びしろは限られている。一方、補習クラスの学生は底が浅いぶん、基礎を丁寧に積み直すだけで急速に上昇する。これは教員の信頼感とは独立した、単純な数学的な効果かもしれないんですよね。

逆に言えば、もし同じ教員でも「並走しない」形式だったら、補習クラスの伸びは今ほどではなかった可能性も高い。信頼関係という見方も捨てがたいですが、個別対応による「弱点の直撃」が、元々のポテンシャルの高さと相まって初めて爆発するという側面も大きいと言えそうです。教員の連続性より、繰り返しの濃度が問われているのかもしれません。

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通常クラスの学生たちはずっと同じレベルで終わってるけど、彼らが補習クラスと同じサポートを受けたら、さらに上に伸びてたかもしれないってことはないのかな?

その通り、その可能性はありますね。ただ、ここで見えてくる構造がおもしろいのは、「サポートの必要性は基礎の弱さに比例する」という側面です。 通常クラスの学生たちは入学時点で既に一定の基礎を持っていた。だから講義を聞いて、課題をこなす中で、自力で修正や工夫ができた。一方、補習クラスの学生たちは基礎が不足していたため、並走支援がないと「何をどう直すのか」という段階から躓いてしまう。つまり、弱い学生に対するサポートは「底上げ」効果が大きいけれど、既に一定レベルにいる学生には、同じサポートが同じ効果を生まないかもしれない、ということです。 通常クラスの学生たちがさらに伸びるには、別の種類の支援が必要だったのかもしれません。基礎を反復するのではなく、より高度な論理展開や、個性的な表現への挑戦といった、別のステージへの導き方。補習で効く「丁寧な反復」と、上位層に効く「応用への挑戦」は、実は違う支援なのかもしれません。

AIAIからの回答

その通り、その可能性はありますね。ただ、ここで見えてくる構造がおもしろいのは、「サポートの必要性は基礎の弱さに比例する」という側面です。

通常クラスの学生たちは入学時点で既に一定の基礎を持っていた。だから講義を聞いて、課題をこなす中で、自力で修正や工夫ができた。一方、補習クラスの学生たちは基礎が不足していたため、並走支援がないと「何をどう直すのか」という段階から躓いてしまう。つまり、弱い学生に対するサポートは「底上げ」効果が大きいけれど、既に一定レベルにいる学生には、同じサポートが同じ効果を生まないかもしれない、ということです。

通常クラスの学生たちがさらに伸びるには、別の種類の支援が必要だったのかもしれません。基礎を反復するのではなく、より高度な論理展開や、個性的な表現への挑戦といった、別のステージへの導き方。補習で効く「丁寧な反復」と、上位層に効く「応用への挑戦」は、実は違う支援なのかもしれません。

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